御由緒・御祭神


戦前の空鞘稲生神社

※ 戦前の空鞘稲生神社 昭和5年(1930)

 

◆御祭神

 

  宇迦之御魂神  (うかのみたまのかみ)

  宇気母智神    (うけもちのかみ)

  和久産巣日神  (わくむすひのかみ)

 

 

◆御由緒

 

古書に 「 空鞘神社の縁起は甚だ古く、勧請の年紀詳かにするも由無なきも後陽成天皇の御宇豊臣秀次未だ関白たりし文禄元年壬辰の歳、毛利輝元陰陽両道に跨る大守として広島城郭の築城を告ぐるの時枯萩寒草の間此の地に二社あり、大を空鞘大明神、小を彦山明神(現在の幸神社)という 」 とあります。

この他の私記等の諸書によれば天文年間(1532~1555)の御創建ということです。その後隆興の一途をたどり、毛利氏の崇敬なかなか篤くかなりの社領をも有していました。

延享(1744~1747)、明和(1764~1771)の二度火災に遭いましたが、その都度復興。

明治5年(1872)  社格を村社に列せられる。

明治40年(1907)  神饌幣帛料供進社(しんせんへいはくりょうきょうしんしゃ)に指定。

大正8年(1919)  社殿を新築を神域を拡大、当神社より舟入南まで、及び中島、吉島一円の氏神となる。

昭和20年(1945)  8月6日に投下された原子爆弾によりすべて灰燼に帰しましたが、同28年(1953)10月に復興。

昭和50年(1975)  神楽殿造営。

昭和58年(1983)  御鎮座450年祭を齋行。

平成15年(2003)  社殿の大改修及び屋根の葺き替えを経て現在に至る。

また 「 空鞘 」 の名は、社頭の松の大木に刀の鞘のみが掛って居た事によりその社名となったと伝えられており、昭和40(1965) の町名改正まで神社周辺は空鞘町と称していました。

 

 

◆御神徳

 

空鞘稲生神社の三柱の御祭神は、〝五穀の神様〟として有名です。

 

神道では自然界にあるものや食物には魂が宿ると言われています。

人々は毎日食べ物のお陰で生命をつないでいます。

自分の心魂(たましい)が活き活きと活動できるのは、食べ物のミタマを頂いているからなのです。

当神社の御祭神、 「 宇迦之御魂神 」 「 宇氣母智神 」 のウカ・ウケとは 「 清浄或いは立派な食物 」 の事であり、その根源は稲に他なりません。

日本古来から主の食物としてきた「稲」を「いね」と言ったのは「生き根」の事で、人々の生命を養い育てる力を持っている為の名です。

それ故この御神名の 「 ウカノミタマ 」 というのは 『 人々の命を育てる根源の力 』 を称えたものです。

又、 「 宇迦之御魂神 」 の親神様は 「 神大市比売神 」 (かむおおいちひめのかみ)と申し上げ、市場の神様であり、商売繁盛をお守りいただく神様であります。

「 和久産巣日神 」 は、伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の御祭神 「 豊宇気比売大神 」 (とようけひめのおおかみ)の親神であり、食物を司る神様です。

 

当空鞘稲生神社は、境内に 「 恵美須神社 」 「 幸神社 」 「 稲生神社 」 の三社をもおまつりしており、商売繁盛、開運、夫婦和合、子孫繁栄、五穀豊穣等の御神徳高く古くより広く崇敬されております。